1981卒塾

62歳 大川一司さん

熱き心のままに

左端が私。4月上旬,ロビーで 山崎新塾監ご夫妻と松本理事長と。

2泊3日の滞在

2020.4.5~4.7まで,福島から唐津へ車での帰路,久敬社に2泊3日で滞在しました。加登前塾監と山崎新塾監にはたいへん温かくおもてなしいただき,お世話になりました。心より御礼申し上げます。

特に山崎塾監からは,私の単身赴任生活が長かったために,健康面でのいろんなアドバイスをいただきました。家族と離れて暮らし

ていると,寂しくなる時もあるだろうが,決してマイナス思考にならずメンタル面で強くなれ!と優しく叱咤激励を受け,溜まっていた疲れがじんわりと抜けていくようでした。気づくと時計の針は0時を回っていて,こんな体験は久しぶりのことでした。

①いきなり決まった宵山。準備していると近所の子供たちが集まってきた。

また7日には,打ち合わせに来塾された松本理事長にもお目にかかることができ,現状やこれからの久敬社の運営方針等について貴重なお考えを聞く機会を持つことができました。卒塾後も,久敬社での4年間のことは折につけ想い浮かんでいましたが,仕事に目いっぱいの日々で余裕がありませんでした。機会があればまた久敬社に立ち寄り,これからは少しずつ久敬社のことにも関わりを持ち,恩返しをしていきたいと思います。 

千代ケ丘祭

②中山塾監を先頭に宵山巡行

写真①②は,宵山(前夜祭)のときのものです。
いきなり中山塾監が「宵山やるか!」と仰って,全員が呆気にとられました。たぶん事前の計画はまったくなく,その場の勢いで決まったように記憶しています。提灯もなく,真っ暗なままで曳き廻しました。意外にも,囃子や掛け声を聞いた子供たちが家から飛び出してきて,自転車に乗って並走する子もいました。

この宵山をやったおかげか,翌日の本番の千代ケ丘祭は参加者がとても多く,以降ずっと宵山をやるきっかけになったと聞いています。②の写真で,先頭の白いシャツの方が中山塾監です。

 

写真③のように,曳き子全員で安全祈願を行いグラウンド

③安全祈願後,グラウンドからスタート

から赤獅子を引き出しました。子供たちの掛け声が,唐津くんちのように「エンヤ」や「ヨイサ」で統一されておらず,お神輿ふうに「ワッショイ,ワッショイ」なのが少し残念でしたが,地元の子供・父兄が増え,道筋で楽しむ人も多くなって,地域の一大イベントになっていることに気づき,誇りとやりがいを感じました。

塾生からも「やるばい!」という威勢のいい言葉がほとばしるように出て,誰もが地域の人たちに溶け込み,生き生きと伸び伸びと曳いていました。角を曲がるときは,唐津同様の切り方で,スピードを上げてスリルを味わいました。

④の右下に写っているのはM君で,彼はいつも上半身裸になり,腹には晒しを巻いて,体を張って根綱を担当していました。⑤は記念写真で,右側で長法被を着ているのが私,左の長法被姿が京町出身のH君です。

カーブは思い切りスピードを上げて。

④裸の大将のM君

 

 

 

⑤右端の長法被が私,左端のが京町出身のH君

※唐津くんちでは,水主町「鯱」を曳いています(今は後ろに付いて歩いています)ので,ぜひ声を掛けてください!

(2020年4月 記)

 

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