1980卒塾
63歳 岩田博義さん
社会人の基本を教えてくれたところ
私は1980年に久敬社を卒塾しました。社会人になり早40年以上になりますが、最近は65歳定年後の生活にバラ色の夢を描いて日々を過ごしている毎日です。
私にとって久敬社は、140年間にわたる人々との歴史の繋がりと社会人になるための基本を教えてくれた場所でした。
毎朝の掃除当番から毎月の会議、久敬社の年間行事だけでも新入生歓迎会(その前に塾歌を覚え)、塾旅行、ソフトボール大会、曳山製作、千代ヶ丘祭、塾祭、東京唐津くんち、都塵の制作と目白押しでした。
更には女子大との合コンや合ハイ、ダンスパーティ、そのためにS先輩にはソウシャルダンスも教えてもらいました。
もちろん先輩方との飲み会も重要で、酔いつぶれながら飲み方を覚えたのも懐かしい思い出です。バレーボールをやっていたため地元のママさんバレーのコーチを務めたことも。
今考えるとたくさんのイベントを企画して実行したこと全てが社会人になって役に立ったと思います。
中でも私には2つの大きな思い出があります。
1.日本の祭、唐津の曳山東京へ
唐津の曳山(大石町と魚屋町)を東京の街中と国立競技場で曵くことができました。日本の祭りにも参加でき、ねぶたの祭りまで踊れました。曳山がまさか東京まで来るとは!?唐津から上京してきたメンバーには中学の先生や先輩たちもいて驚きと歓喜の連続でした。
2.大雪の後の久敬社でのラグビー
大雪の翌日に久敬社のグランドで泥んこになってラグビーをやった爽快感とバカさ加減、特別に沸かしていただいたお風呂の暖かさ、泥んこになったジャージの洗濯、忘れられません。誰が言い出しっぺだったか?定かではありませんが(私は中山塾監が言い出しっぺだったと思いますが)、誰か覚えている方は教えてください。
社会人になると付き合いが狭くなりがちです。幸い私は久敬塾で一生続く友達も出来ました。久敬社塾が私を社会人にしてくれたと感謝しています。コロナ禍の今、ストレスが溜まってきたときに久敬社塾時代の楽しい思い出が鮮明によみがえってきます。本当に久敬社塾での4年間のおかげで大変恵まれた学生時代が過ごせ、良い先輩や同級生にも恵まれました。
コロナが落ち着いたら,久しぶりに久敬社塾のOB会をどなたか企画してください。
(2021年2月 記)