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2022年02月06日

書籍「追悼 宮島傳兵衛 1922-2020」の寄贈を受けました

書籍「追悼 宮島傳兵衛 1922-2020」の寄贈を受けました

華を去り実に就く

“去華就実”。宮島醬油本社(唐津市船宮町)の応接室に招かれると「この扁額がすぐ目に入る」と知人から聞いたことがあります。小笠原家7代当主長生侯より創業者の7世傳兵衛さんへ贈られたものだそうです。“外面的・表面的な華やかさを捨て去り、内面的な実質そのものを大切にせよ”と説いている書で、宮島醤油の社是となっています。

“去華就実”はまた、早稲田実業学校の校是であり、校歌の歌詞にも使われています。唐津藩英学塾の耐恒寮で高橋是清に学び、早稲田実業学校創設に尽力した経済学者天野為之(後の早実2代目校長、早大2代目学長)が定めたものです。近代化へ向け激変する時代の中で、「学び」を通じた唐津起点の深いつながりが、宮島傳兵衛-小笠原長生ー高橋是清-天野為之にあったことが想起されます。

久敬社唐津支部長として約40年

令和2年3月31日、10世宮島傳兵衛氏は満98歳で天寿を全うされました。
故傳兵衛氏は、父である先代の急逝を受け、東京帝国大学在籍中の弱冠20歳で社長職を後継され、社業の発展はもとより、食品業界や経済・文化・スポーツ界など数多の公職のトップに就き、多大なる貢献をされました。

また、私たち久敬社の唐津支部長として、昭和半ばから平成15年まで約40年間の長きにわたりご指導ご支援を賜りました。宮島醤油創業とほぼ同時期に小笠原家により創設され、学問と教育に力を注いだ藩政時代の伝統を今日まで引き継ぐ久敬社には、格別の思いを持っていらしたと拝察します。支部長退任後も直近まで、相談役として温かい眼差しをもって後ろ盾をいただきました。

さらに唐津東高においては、鶴城同窓会会長として、中高一貫教育導入、校舎移転、同窓会館新設など大変革のためのプロジェクトを並々ならぬ堅固な意志と包容力をもって後押しされました。

去華就実そのものの人

ご存命であれば100歳の誕生日をお迎えになっていた今年1月2日、氏と交わった方々の追悼文を編纂した「追悼 宮島傳兵衛」が刊行されました。ページをめくると、“ジェントルマン、清廉、寛容、篤実、太陽、モラリスト、知恵と品性を備えた傑出した経済人、去華就実そのものの人・・・”など故10世傳兵衛氏を評す賞賛の言葉があふれています。

「雨の日でも社用車やハイヤーなんか使わんで、自宅から本社まで毎日歩いて通勤されとる」
「私のようなもんに対しても、さん付けで呼んでくれらすとよ」
「いっちょん偉ぶらっさん、陰日向のなかもん」

・・・唐津にいて、このような話をどれだけ耳にしたでしょうか。直接交わりのない人でも、親しみと敬意を抱いて「でんべえさん、宮島のでんべえさん」と称していました。

郷土出身の花形力士

唐津では至る所に宮島の商品があふれています。しかし、東京や地方に行ってみると、他とは異なる“ちょっといい店”に、レトルトカレーやうどん出汁など亀甲宮(キッコーミヤ)のロゴマークのついたキラリと光る商品が目に飛び込んできます。思いがけず郷土出身の花形力士に出会えたような喜びと懐かしさが込み上げて、必ず一つ二つと買ってしまいます。先日は「ただ今品切れ中」の札が貼られていました。一瞬意気消沈、しかし一転「売り切れとるぞ。どうだ!すごいだろう」と、その人気の高さに鼻まで高々に。宮島への百年の恋は冷めるどころか里心と一体になってますますヒートアップしました。

宮島傳兵衛元唐津支部長のご冥福を謹んでお祈り申し上げます。

このたび刊行委員会より寄贈いただいた追悼集は、久敬社の蔵書として大切に保管し、永く塾生やOB他の閲覧に供させていただきます。

 

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