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2023年10月04日

北烏山にある幸龍寺へ小笠原家累代のお墓参りに行ってきました

北烏山にある幸龍寺へ小笠原家累代のお墓参りに行ってきました

秋到来を感じさせる涼風をひんやりと肌に受け、道端に咲く紅色や薄黄色の曼珠沙華を楽しみながら、古文書委員会(日頃から小笠原家関連の古い書状や文献史料、書、絵図、日記などを整理・研究)のメンバーのうち久敬社評議員2名と塾監の奥様の計3名で、小笠原家累代の墓がある「幸龍寺」へお墓参りに行ってきました。

きっかけは、佐賀県人会が年に1回開催している「東京に佐賀を探す旅」というイベント。今回は特に「烏山のお寺巡り~唐津出身の老中・小笠原長行墓所参拝など」というテーマだったので喜んで参加を決めました。
日蓮宗の妙祐山幸龍寺は、京王線千歳烏山駅の商店街を北に抜け、徒歩20分弱のところにありました。この一帯には、関東大震災で被害にあったお寺がたくさん移転してきており、しっとりとした風情のある寺町になっています。幸龍寺は、徳川家の尊崇が篤く、家康の本拠移動に伴って遠州浜松から駿府、神田湯島へ、土地の寄進を受けて浅草(今の浅草ビューホテル辺り)へと場所を転じ、現在地の北烏山のものは大震災後に建立されたものになります。

小笠原家の墓所は、他の一般の区画のものより2~3倍広いものでした。よくお参りがされ、雑草もなく、手入れが行き届いているように見えました。塔婆も多く残っており、最近では第16代ご当主が今年お盆やお彼岸にお参りにみえた際のものを目にすることができました。

順性院(3代将軍家光の側室:お夏の方)や「江戸名所図会」の挿絵を担当したことで知られる長谷川雪旦、江戸時代後期の国学者喜多村筠庭もここに葬られ、境内には、君が代の歌詞に出てくる「さざれ石」がありました。この石は岐阜県揖斐郡の産で、団結と繁栄の象徴だそうです。

久敬社で生活したり、会議や行事で足繁く通っていても、幸龍寺訪問は初めてというメンバーが2名。1名は昨年、小笠原長行生誕200年を記念した唐津城での企画展の成功祈願のために詣でて以来の2回目でした。

絶好のお参り日和の下、小笠原家の墓前に、企画展の成功やこれまでの功績に心からの感謝の気持ちを伝え、久敬社や唐津の近況報告もでき、一同幸せで穏やかな気分になってお寺を後にしました。いい一日になったなあと、駅の方を見遣ると土塀の上に皇帝ダリアが長い首を伸ばして秋風に揺れ、足元では野バラが小さな実をいっぱいにつけていました。

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